青森県八戸の高校同期会のネットワークが、宮城県石巻の被災地病院へ救援物資を

Ishinomaki Kanko Taxi Photo by Chea Japan

津波に呑み込まれた宮城県石巻市内のようす。タクシーは「石巻観光タクシー」の文字が読める(写真提供=チア・にっぽん)

ウエスト・ロサンゼルスの工藤亜佐子さんから

3月14日月曜日(ロサンゼルス時間)ようやく青森県八戸の家族の安否を確認したので、日本の友達に無事かどうかのメールをしたところ、高校時代(青森県立八戸高校の33回卒業生)の友達で、宮城県石巻市内の斎藤病院で勤務医をしているドクター(40代後半)からSOSのメールが来ました。

彼は津波に飲み込まれそうになりながら、ようやく病院に戻ったそうです。この病院は津波のあと、水が引かなかったのでメディアも入らず、取り残されたまま、水も電気もガスもすべてないにも関わらず、次々に来る患者さんの診療をしていたそうです。メールは高校同期のネットワークにも送られていたため、すぐさま、どうやって彼を助けるかというメールが飛び交いました。

私もLAの友達より得た情報をさっそく送りました。その情報をくれたのは、私の長年の友達で、日本にいた時の元同僚でもありました。その情報は、ある女性代議士が、被災地へのヘルプをしたいが、どうしていいかわからない人への窓口になるというもの。私はそれを高校同期の幹事に送り、幹事はその代議士も含め、3人にSOSのメールをしました。そして、そのうち2人から返事が来て、ひとりは直接、斎藤病院に電話をして、どういう物資が足りないのかを聞いてくれて、もうひとりは給水車を手配してくれました。

難関だったのは輸送手段です。現地では車両規制があり、特定の業者しか入れませんでした。ある商社に勤めている同期は山のような衣料品と毛布を集めてくれて、どうにかトラックも手配してくれました。しかも10トントラックを2台も。

その時点で幹事が高校同期に全員にメールをし、物資を送ってくれるようにお願いしました。そしてひとりひとりが、その先の友達や家族にも依頼したところ、2日間で、10トントラックに乗り切らないぐらいの物資を送りますという連絡がきました!

ところが、16日水曜日に、国道45号線から斎藤病院までの最後の1キロが、海水とがれきのため、車両通行止めになっているという報告が!そこで私たちはどうしたらいいのか混乱しましたが、最後は徒歩でも行くという意気込みで物資の調達を続けていました。その時、建設系の仕事をしている同期が、彼のチームを率いて現地に突然現われ、さっと道路を整備し、そして原発処理の手伝いに去っていきました!ウルトラマンのようでした!

そしてどんどん物資が集められ、22日の締め切りまでにはなんと350個のダンボールが群馬の配送所まで届けられたのです。配送を手配していた同期は、そこで箱をぜんぶ開け、同種類のものをまとめてくれました。そして、斎藤病院だけではなく、他の5箇所の避難場所にも送るということを決めてくれました。そして22日、ようやく2台のトラックは避難場所を訪れ、初めて病院のスタッフに安堵の笑顔が浮かんだそうです。

日本から遠く離れたLAからでも、ネットワークを使って助けになることができるのですね。LAで代議士の情報をくれた友達も、その情報は彼女の元職場のネットワークより得たものでした。日本での情報がLAを通して、回りまわってまた日本に戻り、そこで役に立ったわけです。

阪神大震災の時にはなかったネットワークが、今回の斎藤病院レスキュー作戦を可能にしました。テクノロジーの発達がこのような形で助けになるとは、思ってもみませんでした。LAにいて、募金以外に何もできないと無力感を感じている方も多いようですが、募金も立派な助けだし、情報を送ることで助けになる可能性もあるのだから、どんどん送ってみてはどうでしょうか?

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群馬県内の倉庫に集まった、宮城県石巻市内の斉藤病院への救援物資(写真提供=工藤亜佐子)

Ishinomaki Saito Hospital Relief Truck

群馬県内の倉庫から宮城県石巻市内の斉藤病院へ救援物資を運ぶトラック(写真提供=工藤亜佐子さん)