嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2021年6月19日)
「車庫閉めて筏かづらの花明り」小島静居(パロスバーデス)
静居の遺句集「春耕」に収められている一句。「筏(いかだ)かづら」はブーゲンビリアの日本語名で、春から秋にかけて、赤やピンクの花がロサンゼルスの街を明るくします。歳時記では夏の季語として収めているものと収めていないものがあるようですが、掲句は「春耕」の夏の部に収められています。「花明り」は、桜の花が満開で、夜でもあたりがほの明るく感じられること。春の季語ですが、ここではこの季語が思わぬ効果を上げているように思います。
まず「車庫」。普通の車庫を想像してしまいがちですが、静居が農業を営んでいたことを知ると、トラックやトラクターが入るような大きな車庫なのだろうと想像されます。一日の農作業を終え、車を車庫に収め、大きな扉を閉めます。ゆっくりと扉の軋る音。その時、あぁ、今日も一日終わったという感慨を抱いている作者がうかがえます。その感慨を胸にしながら、車庫の外に咲いているブーゲンビリアに目をとめました。
おそらく、もう日が暮れて、薄暗くなったころのことでしょう。そこに浮かび上がるブーゲンビリアの赤。その情景を、敢えて春の季語を使って「花明り」と詠んだ作者。日本にいたころに見た桜の「花明り」の情景を、いま目の前にある情景と重ねています。桜に代わって、ブーゲンビリアが今「花明り」として作者を包み、一日の疲れた心をほぐしてくれる──。この一句から、今この地を自分の故郷としてしみじみと感じている作者の思いが染み出てくるようです。「花明り」という春の季語が持っている本来の趣が、この夏の句の趣を二重にも三重にも深めたと言えるでしょうか。
「春耕」の「序」を高濱虚子と藤岡紫朗(無隠)が書いていますが、桜井銀鳥の「跋」にある「アメリカの俳壇では戦前に北湖あり、戦後の静居ありと云ふのが定評です」という一文が目につきました。「北湖さんの句は天才的な閃きのある華やかなものでした。それに反して、静居さんの句には苦労人らしい趣があり、足がしっかりと地についてゐると云った感のものです」。「車庫閉めて」の措辞に、そんな静居の人柄がうかがえるような気がしました。
【季語】ブーゲンビリア(筏葛)=夏、句集「春耕」(1955年、橘吟社発行)より
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住42年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。