嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2021年4月10日)
「アメリカはつひの故郷や鳥雲に」臼田葉子(ミシガン州)
アメリカに長年住んで、そこが終(つい)の故郷となった心境を「鳥雲に」の季語に託した一句、という体ですが、いろいろと考えてしまいました。この季語は、春に一群となって北方に帰る鳥を見送り、別れを惜しむ心情を込めたものです。作者はアメリカに住んでいて、そこを「ついの故郷」と言っているわけですが、その時、何に対して別れの心情を抱いているのでしょうか。終の故郷ではないでしょうから、日本に対してでしょうか。あるいは、それとは異なる別れを惜しんでいるのでしょうか。
作者は、いままで何度か紹介した臼田天城子(てんじょうし)の妻です。天城子とはオレゴン州ポートランドで結婚。天城子は戦時中、収容所を転々とさせられたのですが、戦後2人はデトロイトに移転します。そして、夫が病気で亡くなった2年後の1957年、夫の作品をまとめ遺句集「楡の落葉」として発行しました。その冒頭に「句集に添へて亡き夫の霊に語る」という美しい一文を添えています。「想へばあなたに俳句といふものを、最初におすゝめしたのは私でした」という書き出しから始まって、夫と過ごした日々を「涙を新たに」しながら綴ったものでした。
よく見ると、この文章を書いたのは「多摩河畔寓居にて」とあります。「寓居」というのは、自分の住居の謙称です。してみると、ひょっとしたら、夫が死去したあと、日本に帰国したのでしょうか。永久帰国です。しかし、掲句が収められている1974年刊の「北米句集」には「ミシガン州」が葉子の住所になっています。
二通りの解釈ができると思いました。一つは、日本に帰国したものの、俳句集の住所だけは夫と住んでいた時からの「ミシガン州」のままにした可能性。アメリカには夫とともに過ごした日々が眠っています。そこは心の故郷、終の故郷なのです。別れは、そのアメリカに対して、そして、そこに眠る夫に対してなのです。
もう一つは、葉子は一たん日本に帰国したものの、それからまたアメリカに戻った可能性です。その時、もう帰ることはないという思いを抱きながら日本を後にしたことでしょう。「や」の切れ字は、日本への執着を断ち切るためであったようにも取れます。そして、後にしてきた日本への思いを雲間に消えていく鳥に託しました。それはまた、日本に長年住んだ自分自身との別れであったのかもしれません。
いずれにしても、二つの国の間で生きる時に避けられない別れの心情が美しく伝わってくる一句です。
【季語】鳥雲に(入る)=春、「北米俳句集」(橘吟社、1974年刊行)より
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。
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