石井志をんの短歌研究、家族の歌:松江久志「『秋の美に耐えかね琴がなり出す』は信じて良いよ紅葉谷ゆく」

松江久志(まつえ・ひさし)

「『秋の美に耐えかね琴がなり出す』は信じて良いよ紅葉谷ゆく」

松江久志はロサンゼルスに有るカリフォルニア短歌会の主宰である。彼は島根県松江市の出身で、アメリカで教師をしながら歌を詠み、退職後もこの地で短歌を詠み続け、後続の指導に力を注いでいる。私は門下生の一人である。

冒頭の歌は彼の多くの作品の中で私が一番好きな歌である。この歌のバックグラウンドには八木重吉の「素朴な琴」「この明るさのなかへひとつの素朴な琴をおけば秋の美しさに耐えかね琴はしずかに鳴りい出すだらう」が有る。

八木重吉は1898年東京都町田市の出身。1912年横浜国立大学の前身神奈川県師範学校に入学、その後東京高等師範学校を卒業し教職を得るも1927年に肺結核の為死亡。八木重吉の作品は生前は日の目を見ることは無く、1948年に小林秀雄により詩集が刊行され広く名声を得た。彼はクリスチャン詩人としてその名を知られている。

松江久志が紅葉谷でその美しさに感動した時、即八木重吉の詩を思い出すとは、この歌を見て私はガーンと頭を打たれた気がした。自分の詩心の無さを恥じた。

「シベリアの空をわたりて来し鶴の声して宍道の湖の朝焼け」俳句が原点であるという歌人のこの歌はすっきりと俳句的でこれも私の大好きな歌である。

「老い母を労り妻と来し海に今喝采のごとき夕焼け」宍道湖の夕陽が母の生き方を、支える子等を、讃えて喝采を送っているのである。宍道湖とそれに続く海は朝陽も夕陽も美しい。夕刻の宍道湖を列車の窓から見た時のあの色を私は忘れる事は出来ない。それはまさに喝采のごとき夕焼けであった。

―松江久志には優れた歌人の岩見純子と言う奥方が居る。八木重吉にも歌人の妻吉野登美子が居た。この二組の歌人夫妻の取り合わせを妙なりと思う。

松江久志によってロサンゼルスの日本語新聞・羅府新報の新年文芸で一席に選ばれた時の私の歌

「祈りつつ窯を空ければ美しく溶けたる釉が我を待ち居り」

歌人 石井志をん
千葉県出身、カリフォルニア州サンタクルーズ・カウンティ在住
カリフォルニア短歌会会員、新移植林会員
二〇二一年一月記

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