嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2020年11月12日)
「行き違ふ人も菊持ち丘の墓地」西条みさ(ロサンゼルス)
どこの墓地かは分からない。ただ、ロサンゼルス・ダウンタウン東のボイルハイツにある日本人墓地「エバグリーン墓地」ではないだろう。あそこは全体的に平坦な土地である。他の墓地だとすると、おそらく日本人ばかりが埋葬されているわけではないから、墓参りに来るのはいろいろな人種の人たちだ。秋の彼岸に合わせ、菊を手にして墓参りに来た作者。緩やかな丘をゆっくり登っていく。そんな時、ちょうど道の向こう側の人がやはり菊を手にしているのが目についた。作者は、ふと「この人も日本人かな」と思った。
一瞬の、この心の動き。この句が詠まれたのがいつごろのことか分からないが、一般の墓地にはまだあまり日本人が埋葬されてなかったころのことではないかと思う。そして、日本人の墓参りといったら、必ず菊である。だから、菊を手にしている人を見て「日本人かな」と思った。その時、ふと心が和んだのだ。それが一句になった。日本での墓参りで、たまたま行き違う人が菊を手にしているのを目にしても、おそらく誰も俳句に詠まないだろう。アメリカならではの句と言えると思う。
「北米俳句集」に収められた西条さんの自選二十句には「それぞれに母国を名のり夜学生」という句もある。作者はアメリカに渡ってきて、異国での暮しの中で、さまざまな国から来ている人たちと接触し、交流してきた。そういう日々の中で、自分が日本人であることを意識させられることが何度もあった。そして、日本人であるということの意味を自らに問うたことも何度もあったのではないかと思う。そんな経験の積み重ねが、一人の俳人を生んだのだった。
【季語】菊=秋、「北米俳句集」(1974年刊行)より
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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。
今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。
このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置にも迫る。
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