福島第一原発事故の屋内退避地域で診療を続ける医師

Minami Soma Roof in Mad

泥に埋もれた南相馬市(写真提供=チア・にっぽん)

バーバンク在住の稲葉寛夫さんは、日本でチャーチ&ホームスクーリングを広げる「チア・にっぽん」の代表を務めています。東北・関東大震災の前日、3月10日に、東京に着いた稲葉さんは、大震災を直接体験しました。3月25日現在も日本に滞在し、「チア・にっぽん」による被災地域での援助活動に参加しています。カルチュラル・ニュースは、稲葉さんに、被災地の実情を伝えるレポートを依頼しました。

稲葉寛夫 (Inaba Hiro)

今、3月25日朝6時。原発事故が、このまま終息に向かうことを祈りつつ、書いています。

ニュースでは、東京の水道水から、放射性物質が検出され、乳幼児を持つお母さんにミネラルウォーターが配給されたとのニュースが流れています。

ここ数日、仙台、福島で、緊急支援を行ってきました。東松島市、石巻市、そして昨日は、福島県の新地町から入って、相馬市、そして、南相馬市では、福島第一原発から25キロ地点に救援物資を持っていくことができました。ここは、原発から20キロ地点と30キロ地点に挟まれた「屋内退避」地域に指定されている場所です。

「25キロがぎりぎり、行けるところですね。病院は、ちょうど、そのぎりぎりかな、、」南相馬市に向かう検問所で、3人の警察官がOKを出してくれました。一人は、武者の顔をおおう兜のような顔面全体を覆う黒い金属制のマスクをしていました。街は、とてもきれいですが、人陰がまったくみえない、ゴーストタウン。

歩いている人はもちろんいないし、店はシャッターが続き、時折、数台の車が行きかうぐらいで、信号機だけが、緑から黄色、そして赤へと変わり続けています。信号機に敷設された電子文字盤には、「原発事故により、20キロから30キロ圏内は、屋内退避!」とオレンジ色の文字が黒い盤に流れます。東松島にも、石巻にも、全国からのボランティアたちがあふれ、にぎわっていました。しかし、福島県に入ると、新地町、相馬市、そして、30キロ圏内の南相馬市と、ボランティアの姿はまったく見えません。

Minami Soma Dr Kyohei Takahashi
屋内退避地域に指定されている南相馬市内で診療を続ける高橋亨平医師 (写真提供=チア・にっぽん)

市役所から車で3分ほどのところに産婦人科医、高橋亨平(たかはし・きょうへい)医師の病院がありました。高橋医師は、いったん、避難所に出たものの、まだ、町に人々がいて、医師の必要があることがわかり、戻ったとのことでした。

高橋医師のことを知ったのは、南相馬市の隣地で「チア・にっぽん」に協力してくださっている丸森ミニストリーズの太田仁一(おおた・じんいち)さんからの連絡でした。「南相馬の高橋医師によると、食事と水不足が深刻で、持って来てくれたら助かるとのこと」でした。太田さんらも被災者ですが、今はサポート側にまわり、30年余り、養子縁組を世話している高橋医師を心配していたのでした。

午前11時過ぎに、高橋医師を訪ねましたが、待合室には、8名ほどの患者さんがいて驚きました。看護師さん、3人が電話や患者さんの対応で、忙しく、張り切っておられました。看護師さんの連絡を受けて、高橋医師が現れ、歓迎してくれました。

まず、裏の高橋医師宅に、ダンボール30箱分の食糧(レトルトライス、缶詰、カップラーメン、カレー、レトルトすき焼き丼、チョコレート、カロリーメートほか)と水(70リットル)を渡した。高橋トヨ子夫人は、「とても、助かります。これ、職員や困っている患者さんと分けますね。夫は、避難所でじりじりして、いてもたってもいられないという感じでした。どれだけ、長期戦になるかわからないけど、夫も息子もがんばってますので。皆さんの応援がうれしい」と喜んでくれました。

高橋医師は、診療の合間に、私たち診察室に招いてくれました。「最初は、恐くて、避難所にいたんです。ちょうど、入院患者が誰もおられなかったタイミングだったし。でも、とにかく、町に、私を必要としてくれる人々がいるので、戻ってきました。それが、自分の使命じゃないかと。それから、スタッフたちがね、数人、私は町に人々がいる限り、残ると言ってくれたんです。先生、帰ってきてくれたのかと泣いたり、抱きつかれたり、患者さんたちは喜んでくれた。」

(稲葉)「高橋先生だけじゃなく、奥さんや息子さんも戻られましたね。夫として、父として、いかがですか」

(高橋)「それは心配なこともある。でも、息子も親父の姿に感動する。おれも覚悟を決めたと言ってくれている。とにかく、一人でも患者さんがいる限り、ここで医療を続けたい。神は耐えられない試練に遭わせることはない、、、だね。」

南相馬の海辺は、15メートルを超える津波が押し寄せ、300世帯以上が一気に呑まれました。3月26日までの調べでは、259名が亡くなり、1260名が行方不明ですが、原発事故による自宅退避命令の中、捜索も復旧活動も中止されたままです。

密集した家々が、呑み込まれ、悲しい形をとどめている、前日歩いた石巻の浜辺の家々とは違い、こちらは、もはや、形も何も残らない、道路以外は、泥の大平原になり、ところどころに、屋根だけが残っている姿となっていました。

稲葉寛夫= チア・にっぽん代表。早稲田大学法学部、フラー神学大学院修士課程卒。元NHKディレクター。バーバンクで和紀子夫人と3人(19歳、14歳、2歳)をホームスクーリングして12年め。現在、聖書大作映画「Kingdom Come」を制作中。

http://www.cheajapan.com

Minami Soma Releif Food to Mrs. Toyoko Takahashi
「チア・にっぽん」による支援物資を受け取る南相馬市の高橋医院の高橋トヨ子夫人=中央= (写真提供=チア・にっぽん)