日本の古今​東西の​​あらゆる詩歌の中で僕が​最高峰​と思うのが、いろはにほへとの「いろは歌」だ。では先ずそれをここに。​

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそつねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみしゑひもせす

次にこれを漢字入りで書き直してみる。
色は​匂へど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず

これが今に伝わっている形で「いろは歌」とも「いろは四十七文字」とも、或いは最後に「ん」又は「京」を加えて「四十八文字」とも称される。知られる様に日本語の総ての仮名を重複せずに使って作られておりしかも七五調に整えられている。​そういう歌は他にもあるが「いろは」が最高。奇跡的な歌と思う。

作者は誰か、いつ頃作られたか、は諸説あり確定せず、要は分からない。諸文​献からおよそ約千年ほど前の​平安​時代に作られたとは推定される。真言宗の空海または周辺の学僧の作との一説があるが不明だ。​

そこはミステリーとして心惹かれるのはその文脈。見事な歌心の流れの中に静かにたなびく無常観。これはやはり仏教的な諸行無常の諦観、​世界観​だろうか。

​​ただ僕がどう解釈しても、文脈の解釈は歴史的にも学者や​研究者​に諸説あり、​例えば​無常を越えた所に悟り​の如き大​きな安寧がある​など​の説もある。字にしても例えば「色は」は「色葉」だとの説など字や言葉の夫々に諸説​ある​​が​、​僕は​学術​論ではなく自己の感覚解
釈でこの歌を崇めている。

それにしても、日本語の仮名、今で言えば「あいう​えお」を全部入れてしかも​重複させず、歌らしく七五調で​整え​、色彩感や空間​の​遠近感まで​持ち​、日本人​的​なはかなさ、無常感を天​の摂理と受容する精神世界​を眼前に広げる。正に一言一句加うるべからず、一言一
句削るべからず、が当てはまる文であり歌である。​神秘的な作とすら思う。​  ​

余談だが「​有為の​奥山」の所、山の字の上に奥​の字があ​る。我々日本の亭主族​が奥さんを山の​かみ(上)​とか、かみ(上)さんと呼ぶのはここから来ている。
<半田俊夫>

半田俊夫:東京出身。在米約40年の後現在は東京在住。元航空業界商社経営。以下の諸ボランティア活動を行う:羅府新報の随筆「磁針」欄に毎月執筆、日刊サン・ポエムタウン欄の川柳選者。在米中はパサデナ・セミナー会主宰、命の電話友の会、茶道裏千家淡交会OC協会などで会長としてボランティア活動。他に南加日系商工会議所、日米文化会館、小東京評議会、南加県人会協議会、米国書道研究所などの理事役でもボランティア活動をした。日系パイオニア・センター、L.A.東京会、および小東京ロータリー財団の会長を歴任。南加日商の元会頭。

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