嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2019年12月16日)

「初刷やかくも栄えし同胞史」山中澄恵(ノースハリウッド)

この一句を目にして最初に思ったのは「いつごろ詠まれた句だろう」ということだった。年の初めの新聞が届く。新年号である。日本と同じように、米国の日本語新聞も付録が付いてくる。おもむろに開くと、紙とインクの匂いが混じり合って匂いたつ。皇室の挨拶、政財界トップの新年の挨拶に次いで、目に飛び込んでくるのは、ずらりと並んだ地元の日系企業や日系団体の挨拶広告だ。それを見て、繁栄した日系社会のありように感慨を覚えている作者がいる。そして、それは「日系史」ではなく「同胞史」なのだ。その感慨には、同胞の一員としての誇りと喜びが入り混じる。この一句は、新聞を開いて「かくも栄えし」と、胸を躍らせた時代があったことを伝えているが、昨今は新聞離れが進み、ニュースはインターネットで知る時代となったため、新年号を見てこうした思いを抱く人は、少なくなってしまったのではないか。新聞の全盛期を知る読者にとっては、特にそうかもしれない。それにしても、そうした興奮を読者に覚えさせることができるのは、やはり新聞だけだろう。新年というのはどこの国の人にとっても特別の意味をもっているが、初詣、初日の出、それに、何でも初ものを祭り上げる日本人にとっては、新年号は特別の新聞なのである。

【季語】初刷=新年、「北米俳句集」(1974年刊)より

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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在住40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から100年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、農業従事者や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。

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