嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2019年11月6日)

降る雨の音氣にしつつ夜かな本間三海風(ロサンゼルス)

「蝉蛙(せんあ)会」の応募俳句について報じるサンフランシスコの日米新聞は、ロサンゼルスの「橘吟社」が募集した句も掲載していた。ただ、選は蝉蛙会の森素人である。どういう経緯でそうなったのか不明だが、一つ考えられるのは、当時まだ、ロサンゼルスの日本語新聞「羅府新報」が、地元の句会の結果を掲載してなかった可能性である。それで作品をロサンゼルスで集め、サンフランシスコに送ったのかもしれない。掲句は第20回橘吟社募集句の一句で、兼題は「夜学」。移民の多くが自分のこととして頷く句であり、現在にも通ずる句だ。仕事が終わった後、英語の学習のため地元のアダルトスクールに通う。疲れている上に、冷たい雨で、帰路が気になる。この句から10年後の1933年、橘吟社が発行した「北米句集」のはしがきに、三海風が次のように書いていた。アメリカ俳句の宣言である。「私共はなつかしき『祖国』と言ふ慈母の懐を遠く離れて、泣いたり笑ったりして暮らす漂白の子であるが、その声を十七字に綴ったのが即ち本書である/若しその声の幼稚なるを嗤ふ人あらば、それはまだ俳句に於ける赤ん坊だからと答へる/併し、その声の幼稚をあだけられ笑われても、吾々大和民族が何処に漂白してゐても、永遠に亘る祖国の文化を忘れず、伝統の詩型に由って、異土の生活感情をも写し出さんとするそこに、此の書の生命があるのではなかろうか」

【季語】夜学=秋、1924年10月27日付け「日米」より

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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在留40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から百年ほど前、アメリカに俳句を根付かせようと、庭師や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。

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