嶋幸佑が選んだ今日のアメリカ俳句(2019年10月16日)
「軍歌出て目頭潤む敬老日」丸谷潤子(ロサンゼルス)

作者は長年、加州毎日新聞社のジェネラル・マネージャーを務めた人。敬老の日の高齢者らを祝う催しに、祝われる一人としてではなく、取材で参加していたのではないか。軍歌は「出て」とあるから、プログラムにはなかったが、誰かが飛び入りで歌ったものとみられる。日本の軍歌である。日本で兵役に着いていた人か。高齢者の中には、戦争を生き延びた人たちが少なからずいた。昔を思い出し、涙する人たち。敬老の日の一こまのドラマである。

【季語】敬老日=秋、「橘吟社創立六十周年記念句集」(1983年刊)より

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「墓拝む吾が傍(かた)へなる幼き掌」弘島珠美

秋の澄み切った空の下、子どもを連れて墓参りに来た作者。自分の父母が眠る墓。目を閉じ、手を合わせ、拝む。その時、作者の体に、子どもの小さい手が伸びてきた。力なく、そっと伸びてきた手。母親が何をしているのか、まだ十分に理解できる年ごろではないのかもしれない。この子がやがて、自分と同じように、この墓に参ることがあるだろうか。その手を合わせることがあるだろうか。風習を、文化を、親から子どもへ伝える、その難しさが作者の心の中にふと浮ぶ。でも、幼い手を見つめながら、必ずそうしてほしいと、祈るような気持を抱いている作者。

【季語】墓参り=秋、「北米俳句集」(1974年刊)より

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嶋幸佑(しま・こうすけ)ロサンゼルス在留40年。伝統俳句結社の大手「田鶴」(宝塚市、水田むつみ主宰)米国支部の会員。ロサンゼルスの新聞「日刊サン」のポエムタウン俳句選者。

今から百年近く前、アメリカに俳句を根付かせようと、庭師や歯科医など各種の職業に就いていた日本人、主にロサンゼルス地区居住の俳人らが、日本流の風雅を詠うのではではなく、アメリカの風俗・風土の中に、自分たちの俳句の確立を目指していた。

このコーナー「嶋幸佑のアメリカ俳句鑑賞」は、そうした先人の姿勢を、現在に引き継ぐ試み。今でも多種多様な職業の人たちがアメリカで俳句を詠んでいるが、それぞれの俳句の、いわゆる「アメリカ俳句」としての立ち位置も読み解く。