ロサンゼルスの建築家で、日系社会のリーダー高瀬隼彦さんの葬儀が、リトル東京で、1月12日に行われる (2)

2019円1月12日、ロサンゼルス・リトル東京の福井葬儀社で行われた高瀬隼彦さんの葬儀。司会をする久山康彦牧師。(Cultural News Photo)

2019円1月12日、ロサンゼルス・リトル東京の福井葬儀社で行われた高瀬隼彦さんの葬儀。司会をする久山康彦牧師。(Cultural News Photo)

ロサンゼルス在住の建築家で日系社会のリーダー役だった、高瀬隼彦(たかせ・はやひこ)さんが2018年12月27日午後8時半ごろ、ロサンゼルス市ボイルハイツにあるホワイト・メモリアル病院で死去した。88歳だった。病院では、妻の純子(すみこ)さんと娘のマヤ・ケイさんに看取られ、静かに息を引き取った。晩年の高瀬さんは、ボイルハイツにある敬愛看護施設に入っていた。

葬儀は、2019年1月12日、午前11時から、ロサンゼルス・リトル東京にある福井葬儀社チャペルで行われ、妻・純子さんと娘・マヤさんの家族と高瀬さんの友人、高瀬さんの建築事務所でいっしょに仕事をした人たちが集まった。

葬儀の司会はメソジスト教会の久山康彦牧師によって行われ、高瀬隼彦さんの娘のマヤさんが、高瀬隼彦さんの経歴と、家族旅行の思い出などを話した。

高瀬さんは、東京大学の建築学科を卒業後、デトロイトとニューヨークの建築事務所で研修を受け、ハーバード大学の建築大学院を終了している。

その後、日本に帰国し、すぐに鹿島建設に入社、鹿島建設がリトル東京で行う再開発プロジェクトの設計責任者として1964年に再渡米、アメリカでの建築家としての道を歩み始めた。

友人代表の弔辞では、高瀬さんといっしょにLA東京会や南加日系商工会議所のリーダー役を務めたパサデナ在住の半田俊夫さんが、高瀬さん夫妻とのクルーズ旅行の思い出や、高瀬さんが東京・目白に建築したユニークな住宅の話などを話した。

久山牧師は2003年に、当時、ロサンゼルス交響楽団のアシスタント指揮者を努めていた篠崎靖男さんと高瀬さんが、ベートーベンの第9合唱団を作ろうと久山牧師がいるリトル東京のセンテナリー・メソジスト教会で、ミーティングを持ったことを紹介して、クラッシク音楽が好きだった高瀬さんの情熱に感銘した思い出を述べた。

葬儀参列者への謝辞は、マヤさんの夫のロバート・ケイさんが行った。最後のお別れでは、マヤさんとロバートさんの息子のリヤン君とマシュー君が参列者にカーネーションを渡す役割をした。

約1時間の葬儀の後、参列者は、チャイナタウンにあるオーション・シーフード・レストランで会食し、高瀬隼彦さんを偲んだ。

なお、高瀬さんの家族は、ロサンゼルス日系社会といっしょに、高瀬隼彦さんをしのぶ会を4月中旬に計画している。

2000年のLA着物クラブの発起人のひとり鶴亀彰(つるかめ・あきら)さんの話=二世ウィークパレードに羽織はかまでオープカーに乗っていた高瀬さんの姿が美しく、感銘を受けた。それで、LA着物クラブを作るときに会長を引き受けてくださいとお願いをした。

カルチュラルニュース編集長、東繁春の話=1998年7月のカルチュラルニュース創刊号のフロントページは、高瀬さんが会長を努めていた海外有権者ネットワークの記事を掲載した。高瀬さんは、海外に住む日本国籍保有者が選挙ができる運動、海外有権者ネットワークや、ロサンゼルスで日本文化を広めるLA着物クラブの初代会長を務めた。

高瀬さんの発言は、いつも控えめで、弁論で参加者を引っ張っていくタイプのリーダーではなかった。今にして思えば、参加者が活動できる環境を造っていく、組織やイベントの企画者だった。つまり建築でいえば、まさに設計者の役割を果たしていた人だった。

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