2018/LAエッセー:半田俊夫・1964年東京オリンピック開会式の出来事

2018年10月10日のNHKテレビ、良いニュースだった。今から54年前の1964年の「今日」10月10日、東京五輪の開会式で起った誰も予期しなかった出来事を秘話映像として報道し懐古していた。

参加94ヶ国七千人の選手団が堂々の入場行進、国立競技場一杯に整列した。最後に赤いブレザーの日本選手団が現れ行進、競技場全員が立ち上がる大歓呼だった。そしていよいよハイライトが聖火リレー最終ランナー、若々しい19歳の坂井吉則陸上選手(4年前に69歳で他界)が競技場に姿を現し大歓声の中に半周を始めた時に「事件」が起った。当時僕は大学4年、TVを見ていた。半世紀以上も昔だがかすかに記憶が甦る。

最終聖火ランナー坂井吉則選手の入場

最終聖火ランナー坂井吉則選手の入場

突然、整列していた各国選手達が列を乱して群衆となって一斉に聖火ランナーに向って駆け寄りトラック際に押し寄せた。日本選手団は整列したまま。日本の役員達は式進行が1分でも狂ったら大変と驚愕したらしい。今回NHKは隊列の中程にいて112人の選手団を送り出した国アルゼンチンを訪れ、生存する元選手を探し当て取材した。その生の話を見た。

今73歳、当時19歳の女子陸上短距離代表選手だったマリアさん。当時の写真と切り抜きを大事に取ってある。聖火ランナーが入って来るという放送があり夢中で駆け寄ったその理由は「聖火ランナーの坂井さんが広島での原爆投下のわずか1時間半後に生まれたと聞いていたからだ」と静かに語る。「日本人にとって悲劇の中で生まれ、生き残った一人だとわかって感動した」

当時20歳の男性サッカー代表選手だったマレオ・ホセさん74歳。人垣の最前列で撮り今はセピア色に変色した写真を大切に残していた。「私はこの群衆の最前列にいた」と写真を指差す。「外国人の選手にとって感動的だった。あんなひどい時に生まれて、五輪の舞台で聖火ランナーとして走っている瞬間を記憶にとどめたかった」無我夢中で撮影したホセさんはあの日見た光景は「今でも人生の大切な1ページ」と言う。「各国選手群の中で皆言葉は通じないが聖火ランナーへの気持ちは同じで、譲り合って撮影した。自分の人生の中でこの美しい瞬間は思い出すたびに感動する」と胸に手を当て思い出すように語っていた。

64年東京五輪聖火灯る

64年東京五輪聖火灯る

戦後まだ19年、戦禍の廃墟から復興と経済成長を遂げ、史上初のアジアでのオリンピック開催にこぎ着けた日本。感動に満ち、感慨深い五輪だった。広島と結びつけて聖火ランナーを見ていた外国選手たち。見ていて僕は自然に涙が流れた。録画を再生して見たこの放送、消さずに取ってある。<半田俊夫>

半田俊夫:
東京出身。パサデナ市在住。在米約40年。元航空業界商社経営。以下の諸ボランティア活動を行う:羅府新報の随筆「磁針」欄に毎月執筆。日刊サン・ポエムタウン欄の川柳選者。パサデナ・セミナー会主宰。命の電話友の会、茶道裏千家淡交会OC協会などで会長として現役ボランティア活動。南加日系商工会議所の元会頭。日系パイオニア・センター、L.A.東京会、および小東京ロータリー財団の会長を歴任。他に南加日商、日米文化会館、小東京評議会、南加県人会協議会、米国書道研究所などの理事役を歴任しボランティア。

(本稿はロサンゼルスの日本語新聞・羅府新報の「磁針」欄に2018年10月に掲載された文に加筆したものです。)