被災地で考えたこと(2)大川小学校の惨事

 

Okawa Elementary School Ruin

石巻市立大川小学校の破壊された校舎 (Cultural News Photo)

By古屋嘉祥 (ふるや・かしょう) カルチュラル・ニュース日本支局代表 (横浜から)

(古屋さんは、6月7日から10日まで、カルチュラル・ニュース三陸体験ツアーに参加しました。8日は、石巻市立大川小学校を訪れました。大川小学校は、2005年に合併で石巻市に編入されるまでは、河北町の学校でした。石巻市立の学校と聞くと、石巻の市街地にあるように思いますが、実際の場所は、石巻からは1時間もかかる三陸の小集落でした)

大川小学校の惨事についてお知らせしたいと思います。 この学校では、全児童108人の約7割に当たる74人と、教職員10人が死亡・行方不明となる惨事が起きました。

その大川小学校に行き、直接この目で見たとき、なぜ裏山に逃げなかったのか? と言う疑問を誰もが持ちました。

そのことが気になっていろいろ私なりに調べてみました。

 

次の事が解りました。

大川小学校は、河口から約4キロ上流の北上川南岸の堤防近くにあり、周辺は海抜約2.5メートルの窪地になっています。

地震発生時、児童らは2階建て鉄筋コンクリート造りの校舎内にいました。大きな揺れを感じ、津波警報の発令を知った教職員は全校児童を校庭に整列させました。

その後、少しでも高い場所に児童を移動させようと、海抜6メートルの北上川の堤防に向かって列になり歩いていたとき、川から堤防を乗り越えた大津波に飲み込まれてしまいました。

しかし、校舎の背後には小高い山がありました。「なぜ裏山に登らせなかったのか?」。

実は登らせなかったのではなく、登ることができなかったのです。 裏山は、ほぼ傾斜角45度の急斜面で、斜面には津波が到達した位置を示す木札があり、高さは海抜9.4メートル。

我々一行は、実際にこの裏山を登っていないので理解できなかった訳ですが、実は、この斜面を登るには、大人でさえも苦心して登るくらい急斜面だそうです。

しかも、震災当日は、斜面はまだ一面の雪に覆われていたそうです。 とても児童108人を登らせることはできなかったようです。後になって、気づいたことは、この斜面を楽に歩いて登ることができるような、ジグザグの津波避難路を設けておくべきだったということです。

しかも夜間の津波発生にも備え、太陽光発電の照明灯も備えていれば、あのような惨事は起きなかったかもしれない。

今となっては、遅すぎます。この大川小の惨事を教訓に、裏山があるから安心という考えは危険だということを理解し、万全の対策をする必要があると思います。

(了)