新聞記事に見る敬老引退者ホームの軌跡

新聞記事に見る敬老引退者ホームの軌跡 (1) 1974年11月ー1976年8月

敬老引退者ホームは、非営利法人「敬老サービス」(dba 敬老シニア・ヘルスケア)の4番目の施設として、1975年にボイル・ハイツ地区に開設された。

新聞記事から、その経緯をたどってみたい。設立時からの記事を追っていると、引退者ホームのみならず中間看護施設の設立も同時に関わっており、一施設を単独で追うことことができないことがわかった。引退者ホームを中心にたどることになった。

1974年11月、旧ユダヤ系老人ホーム(Jewish Home for the Aged)を100万ドルで購入して、日系高齢者ホーム(Japanese Home for the Aged)にすることが発表された。購入費用に加えて、補修等の経費を見込んで120万ドルの募金運動を開始。ユダヤ系老人ホームは、5エーカーの土地に11の建物で、200人の高齢者、看護が必要な100人の高齢者と50人の学生の受け入れ可能な施設。この施設購入の募金委員長は和田フレッド勇氏で、後に初代理事長に就任する。大口寄付委員長に荒谷ジョージ氏、特別寄付部門委員長に伊東ジョセフ氏、一般寄付部門委員長に渡辺ルース氏。11月26日(火)のインフォメーションディナーで主催者からこの施設について説明されるという(1974年11月13日付羅府新報)。

日系人高齢者ホーム購入基金にネバダ州リノで金魚のビジネスに従事していた和田サム・シンゴ夫妻から1万ドルのプレッジが申し込まれ、昨日2千ドルのチェッキが届いた(75年1月10日(金)付羅府新報)。

高齢者ホーム基金へユダヤ系米人モーリス・バーマン氏が80エーカーの土地を寄付。時価2万6千ドルと評価されている(75年1月18日付羅府新報、1月20日付加州毎日)。

小東京、モントレパーク及びガーデナで眼科医を開業している、明石、野口両眼科医から高齢者ホームへ1万ドルの寄付(75年2月10日付加州毎日)。

1月11日に開催されたターミナル・アイランダース・クラブの新年会で日系人高齢者ホームに総額5万ドルの寄付誓約決める(75年2月17日付羅府新報)

エスクローの期限が2月15日なのでそれまでに30万ドルは集めたいとしていたが、2月11日までにプレッジを合わせて総額822,425ドルが集まった。△大口寄付 42万7,635ドル△特別寄付 13万9,385ドル△一般寄付 16万3,764ドル△歯科医グループ 3万8,230ドル△病院及び敬老ホーム従業員 1万6,246ドル△花屋グループ 3万7,170ドル。次回の報告会は18日(1975年2月14日付羅府新報、加州毎日)。

1975年2月に購入手続きを完了。3月末までに入居受け入れできるよう準備する。募金活動は3月15日まで続ける(1975年2月28日付羅府新報)。「看護の傘(umbrella of Care)」敬老グループは、シティ・ビュー病院、敬老ナーシングホーム、南敬老ナーシングホームに加えて4施設となる。3月には高齢者ホーム運営のため、組織される市民評議会の会員を地元日系社会の各個人、各宗教団体、婦人団体及び企業から募っている。第1回集会は3月20日(1975年3月10日付加州毎日)。役員はこの評議会で選出、日系社会に関心を持ってもらいたい、と話していたと1975年3月4日付日米タイムス紙が報じている。

国際オリンピック委員の竹田恒徳氏が、オリンピック大会の時在米同胞から援助していただいたことに感謝と和田勇氏に金一封を手渡した。竹田氏が高齢者ホームを訪問したとき、市会議員、ユダヤ人高齢者ホーム会長サムエル・ケイ氏、日系高齢者ホーム理事諸氏が迎えた。サムエル・ケイ氏は「このホームを譲り受けたいと32の団体、ショッピングセンターにしたいという企業グループなどから申し込みがあった。日系人の意図が一番よく、有意義だと思われたので日系人に跡を継いでもらうことになった」と語った(75年㋂㏤付羅府新報、加州毎日)。

日系婦人会は3月1日、総会と新年親睦会を開催。高齢者ホームに千ドル寄付することを可決(75年3月10日付加州毎日)。

募金運動のために設立された運動委員会は解散。3月末までの募金額は現金・募金誓約併せて、1,232,111ドル09セント。経費合計は、96,492ドル。募金委員会解散後理事会(和田勇氏臨時理事長)が開かれ、3提案が決議される。第1が、施設の名称を日系引退者ホーム(Japanese Retirement Home)と改称する。第2が、自費で支払う居住者の月額料金を350ドルと発表していたものを300ドルに下げる。第3が、100万ドル以上を目標として寄付基金を設立する。入居費用を安くするために資金が必要。1万ドル以上の寄付者は、基金に寄付者が指定する名前を付けられるとした( 1975年4月23日付加州毎日、羅府新報。4月26日付羅府新報)。

6月7日(土)三世女性団体「DAMESデームス」が、基金募集バザー「カントリー・フェア」開催(75年㋅㏢付羅府新報)。

和歌山市の和嶋建設取締役社長 貴志敏一ベン氏から3千ドルの寄付。貴志氏は戦前ターミナル・アイランドに居住。戦後に帰国して建設会社を設立。今年1月のターミナル・アイランダースの新年会に出席した際、引退者ホームのことを聞き、パイオニアのためになることならと寄付を約束、ピクニック出席のために渡米したのを機会に3千ドルを寄付(75年6月7日付羅府新報)。

長い間日本語を教えていた山口美知(和?)先生、1万ドル現金で寄付。(75年6月23日付羅府新報)

日系人高齢者ホーム基金へ日本からの寄付で、相山武雄氏から5百万円、銀座のポーラ化粧品支店長、才茂弘司氏から今後5年間で2万ドルの寄付の約束(75年6月羅府新報)。

入居受け入れのための整備には、多数のボランティアの協力と、寄付があった。居室のカーテン取り付け、庭の手入れなどの支援を得て整備されていった。小東京の加藤裁縫ミシン・ショップの加藤・M・フランク氏よりパワー裁縫ミシン3台寄贈される。家庭用ミシンも寄贈約束(1975年4月2日付羅府新報)。

正岡はるえ、高桑ベン、滑川ヤス、松井みつえ、黒田いとえ、川名ケイ、古谷ジョージの7人が5月29日に入居。5月末までには10人入居(1975年5月30日付加州毎日、6月3日付羅府新報)。9月末現在で30人入居、種々のプログラムで楽しんでおりボランティアには感謝している(1975年10月7日付羅府新報)。

羅府日系医師会と同婦人会は「カジノ・ローヤル・ナイト」の純益金を日系引退者ホームに寄付(75年㋉㏴付加州毎日)。

敬老引退者ホームの支持後援会、愛友会(Friends of Japanese Retirement Home)が非営利法人として発足(△会長 漆畑ユック △第一副会長 寺下ジュリー △第二副会長 遊佐メリー △第三副会長 田中ウォルター △第四副会長 吉村アート △記録書記 樽本メイコ △通信書記 石井エミー △会計 田中ユリ △議事運営係 力丸コニー △パブリシティ・ヒストリアン 小橋エセル △監査役 湯森ベティ △エディター 国次カツ △相談役 渡辺ルース)。奉仕活動を通じて一世パイオニアに対し又地域社会に対する報恩感謝を表すことに賛同下さる人々の参加を希望している。8月より資金募金活動開始。(1975年9月4日加州毎日、羅府新報)10月18日のステーキベーク・パーティでは、約2,700ドルの純益をあげた。12月7日にクリスマス・トリミング・パーティーを開き、理髪室・美容室の諸設備購入費として、約2,000ドル寄付するとした。(1975年11月20日付加州毎日、11月21日付羅府新報)

クリスマスシーズンには多くのグループ・個人の慰問が予想されると、日時が重複しないように予め連絡を(1975年11月14日付羅府新報)。

12月22日、米国日本青年社長会(Y・P・C)がゴルフ大会を開催。2千ドルを高齢者ホームに寄付(75年12月24日付羅府新報)。

引退者ホームに大量のポテトの寄贈。ユタ州ミルフォードの二世農家、成瀬ハルイチ氏から2回にわたり百ポンド入りポテト370袋が運送費をかけて送られてきた。引退者ホーム、敬老ナーシングホーム、南敬老ナーシングホームで使用した残りは、S・アンシン・プロデゥース会社に委託して販売。その売上金は引退者ホームの運営に充てられる(76年2月3日付羅府新報)。

引退者ホームに匿名で1万ドルの寄付、看護施設改装費用の一部に充てられる(76年2月28日付羅府新報)。

1976年3月14日(日)、引退者ホームの第1回年次総会開催。引退者ホームの居住者は現在48人。居室の改装が順次着々と進んでいるので、年末までには居住者が100人くらいになるものと予想される。引退者ホームの敷地内にある別棟看護施設を、敬老ナーシングホーム、南敬老ナーシングホームが満床で待っている人たちのために早急に改装する必要があると広戸エドウィン事務長が説明。改装には30万ドルが必要。引退者ホームの向かい側の30屋代だけなら65ドル。渡辺春吉氏が正面玄関前に池を配置した日本庭園を造ることを申し入れ、満場一致で可決。日本庭園は渡辺氏と東羅府庭園業組合員の奉仕で造られるという(1976年3月19日付羅府新報)。

「引退者ホームにカー記念会議室」1942年の日系人立ち退きのとき、日系人のフレンドとして貢献したコロラド州知事のラルフ・L・カーのプラークを会議室の壁に掛ける(1976年4月3日付羅府新報)。

1976年4月22日の理事会での報告・決定事項。1.現在入居者は50人。2.高齢者センターに活動の場を提供。3.6月5日愛友会主催でカーニバル・バザーが開催される。目的は、引退者ホーム敷地内にある病院を看護ホームに改造するために必要な30万ドルの資金募集の一環。希望のあった一時居住についての料金を含めた規則が決められた。1、㏦~14日の場合1日20ドル。2、14日~30日の場合は1日17ドル。3、1カ月以上、1日15ドル。役員、委員長決定承認。任期は3年。△理事長 和田勇 △副理事長 荒谷ジョージ △書記 渡辺ルース △会計 丸山清 △レンタル委員長 中崎ビル △ノミネーティング委員長 福島ジョン △渉外委員長 妙中俊彦 △基金委員長 荒谷ジョージ △予算財政委員長 伊東ジョセフ △人事委員長 飯島サム(1976年4月29日付加州毎日、4月30日付羅府新報)。

1976年5月20日(木)の引退者ホームの定例理事会で、6月1日を期して病院施設をナーシングホームに改装するための資金募集開始が決定された。当初30万ドルと改装費用が見込まれていたが、見積もりを取った結果40万ドルが必要と分かった。募金方法は、4,000人に募金委員が直接お願いするというユニークな方法。この募金活動は今年末まで続ける。和田理事長談「一昨年末から昨年春の数か月で130万ドルの募金運動が成功裡に終わり引退者ホームの開設ができた。その運営が完全に軌道に乗らない時に、再び40万ドルの募金運動に踏み切らざるを得ない現状をご理解いただきたい。(ライセンス、その他の問題で)8月4日というタイムリミットがあること、多数の入院希望者が順番を待っておりナーシングホーム開設が緊急に切望されている…」(1976年5月24日付加州毎日)。

6月5日に開催された愛友会主催のフレンズ・フェアー・バザーの収益金は6,000ドルで、これは、看護ホーム改造費の一部に充てられる(1976年6月24日付羅府新報、6月25日付加州毎日)。

6月29日(火)募金運動のキックオフ会合を開催。募金委員長に渡辺ルース氏を選び、米国日産モータース会長片山豊氏と荒谷ジョージ氏が共同委員長を快諾。渡辺委員長から、西羅府市民協会婦人部から少なくとも5千ドルの寄付約束があったこと、愛友会からバザーの純益6千ドルが寄付されたことが報告された。第1回募金報告会は7月8日(1976年6月30日付羅府新報、加州毎日)。

日本側からも、終戦直後に水泳選手が世話になった在米邦人に27年ぶりの恩返しとして、田畑政治氏が日本側募金委員長となって、募金運動を開始することになった(1976年7月10日付羅府新報、7月12日付加州毎日)。

7月16日(金)南加県人会協議会が5千ドルの寄付を誓約。一回分として1,250ドルの小切手を片山委員長に手渡す。現在誓約合計は約2万ドル(1976年7月19日付加州毎日)。

8月3日(火)の定例委員会で募金額が報告される。他州担当の福島ジョン氏扱い個人誓約2万ドルを含めて、合計65,169ドル16セント集まっている。その内現金受領は11,700ドル。募金運動広報のため、8月集中的にテレビ3局、ラジオ、新聞にキャンペーン広告を出すことにする〈76年8月5日付羅府新報〉。

引退者ホームのメインダイニングルームのステージ拡大7月末に完了。各団体の利用待つ(76年8月6日付羅府新報)。

8月10日(火)の定例募金委員会で募金状況が報告される。今夜現在、83,470ドル40セント。3日に報告された他州からの2万ドルはテキサス州でナ―セーリー業を営むシノダ・ヨシコさんと3人の子供さんから(76年8月13日付羅府新報、加州毎日)。

中間看護施設改造募金は23日現在、105,915.46ドル。内現金は75,143.61ドル。施設改造計画は政府当局から最終的に承認され、8月25日ころから工事が始められる。最初の計画では99ベッドだったが、96ベッドで認可。完成までには5~6カ月要する見込み(76年8月24日付羅府新報)。

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新聞記事に見る敬老引退者ホームの軌跡(2) 1976年8月ー1978年1月

1976年8月5日と6日の2回羅府新報に、8月27日、30日、31日の3回にわたり加州毎日に、理事の妙中俊彦氏が「中間看護施設改造資金=40万ドル募金について=」を寄稿。募金運動の趣旨、既存のナーシングホームの状況を説明して中間看護施設の必要性を説き、募金運動への理解と協力を訴えている。

8月31日(火)の定例募金委員会で、8月31日現在の募金額は117,325ドル46セントと発表された。引退者ホーム入居者総数66名。日本体育協会と日本オリンピック委員会から和田勇宛の書簡で、中間看護施設改造募金について8月25日開催のJOC総会で、日頃の貴殿のご恩顧に報いる好機として満場一致の賛成が得られた。直ちに運動を展開すると知らせがあったことが報告された(76年9月3日付羅府新報、9月7日付加州毎日)。

76年9月11日付羅府新報、市内ニュースで、1.金婚記念に寄付=渡辺春吉夫妻から金婚記念として500ドルと、令息ジョージ夫妻から500ドルの計1,000ドルの寄付があった。日本庭園を造る費用に使ってほしい。2.ホーム内コンサートホールへピアノを=楠見ヒデさんからコンサートホールへピアノを置いてピアノ塾の温習会に使えるようしてほしいとの申し出あり。ピアノ購入費用の一部にと1,000ドルの寄付が和田理事長の手渡された。

76年9月21日(火)、高松在日本国総領事が敬老ホーム、南敬老ホーム及び日系引退者ホームを訪問・視察し、激励(9月22日付羅府新報)。

日産モータース社から2万5千ドルの寄付が約束されたと片山豊会長が報告。これを加えると、16万8千741ドル11セントになると渡辺ルース募金委員長が発表(76年㋉㏦付羅府新報)。

76年10月9日引退者ホーム大広間にて、S・I・ハヤカワ共和党上院議員候補者の政権を聞く会に200人が出席。玉城ポール氏(水道・電力局)が司会。松田日商会頭、土斐崎文化会館会長、スナイダー市会議員(東羅府)、ハリウッドスター、エッド・ネルソン氏や船井エレンさんらが紹介され、ハヤカワ候補は「日系人、アジア系、加州の住民を代表できるのは大変な名誉。アメリカの少数人種の立場は、変化している。35年前に日系人が上院議員になる といったら“気狂いだ”といわれたろう。・・・選挙に当選することは、私にとって、ジャッキー・ロビンソン氏やキッシンジャー氏と同様、人種間の協調や理解をシンボライズすることである。・・・」日系人として立候補する意義を述べた(76年10月12日付羅府新報)。

10月21日(木)定例理事会。報告事項:△会計報告(7月1日~9月30日)収入=61,936ドル39セント。支出=97,313ドル86セント。差引残高=35,377ドル47セント不足 △中間看護施設募金状況 10月21日現在合計185,679ドル46セント。内訳は現金138,320㌦31㌣、誓約47,359㌦15㌣。40万ドル年内達成のため、再度依頼状を発送する。鳥取クラブ有志からICFへ1,160㌦の寄付あり(76年11月5日付羅府新報)。△居住者協議会の発足 現在居住者68人。会長 井芹勝次郎、副会長 松永はるか、書記 黒住徳次。理事 末広虎雄、吉田初江、岡大造、植村正人。 △ホーム向かい側の付属アパートのテナントは現在16人。△ホームのオフィスマネジャーに石井ルース夫人試用雇用。 議案決定事項:△理事増員及び相談役会の設定 △内部監査の強化とチェックの複数署名 理事と事務局長の責任、小委員会の責任分担、責任範囲の明確化も決定(76年11月5日付羅府新報)。

慶応大学マンドリンクラブが11月11日(木)午後7時半から引退者ホームで演奏会。総勢44名。指揮者は服部正氏(76年11月8日付羅府新報、加州毎日)。

76年10月24日、東羅府市民協会主催一世慰安会(羅府新報)、11月21日(日)、舞川よし師の若葉会、秋季小唄温習会(羅府新報)。11月14日米国喜多会例会、など、引退者ホームでの催しの記事あり。

76年12月羅府新報<日系引退者ホーム便り>*12月4日(土)午後5時より愛友会主催で居住者のためのクリスマスパーティーが開催される。*クリスマスパーティー終了後、午後9時から午前1時、中間看護施設改造資金募集のためのダンスパーティー開催。多数の参加求。コトブキバンドが友情出演で演奏。*11月30日午後、浜エンタープライズ社の松島アキラと浜丈二が歌で敬老慰安公演。引退者ホーム、敬老ホーム、南敬老ホームを巡回公演。*中間看護施設改造募金が11月末現在、現金誓約合計が25万ドルに達した。目標額にはまだ15万ドル不足。改造工事は年末完成を目指して急ピッチで進められている。*白人から寄付。クレンショウにあるインペリアル・ダットサンのオーナー、ゴート氏夫妻から100㌦のチェックが片山委員長に送られてきた。募金運動の成功祈ると添え書きあり。

中間看護施設は1月末のオープンを予定していたが、フローアの仕上げに遅れが生じ3月にオープンを延期。77年1月31日現在の現金及び誓約総計は30万4千ドルに達した(羅府新報、77年2月11日付加州毎日)。

77年1月31日(月)、日系引退者ホームにパサデナのラルフ・M・パーソンズ財団から、千ドルのチェックが渡され、今年の財団の収入の20分の1を寄付すると約束。約3万ドルになる見込み(77年2月3日付羅府新報)。

日本オリンピック委員会の田畑政治委員長から和田理事長に届いた便りによると、1月27日現在、団体・個人から109万(3,760㌦)が集まった。・・・皆様のささやかながらお礼の志としてお受け取り下され、ご活用いただければ望外の喜びであります・・・と。団体名、個人名が記されていた。日本からの寄付総額は4万ドルを突破(77年2月10日付羅府新報、2月11日付加州毎日、羅府新報)。

中間看護施設のオープンハウスは4月24日(日)と決定(77年2月22日付羅府新報)。

2月17日(木)の定例理事会での決定事項と報告。△片山豊募金委員長の帰国に際し、感謝のプラーグを呈することが満場一致で決定。(21日の日米協会主催の送別宴で贈呈)△中間看護施設のオープンハウスは4月24日。監督官庁の検査が早く終了すれば3月末か4月初めに営業開始。△2月15日現在の募金総額は306,841㌦34㌣ △引退者ホーム居住者の月額を10%前後値上げを考慮中。2年前のオープン時の費用で現在に至っている。自己負担居住者は325㌦。75人に水道代だけでも月額2,500㌦かかる。△愛友会で

ラッフルチケット10万ドル分販売。募金目標額に10万ドル不足、加えてベッドその他の付帯設備不足分5万ドル補充のため(77年2月23日付加州毎日)。

日本高校野球連盟が中間看護施設改造募金に10万円、3月16日振り込んだと日本オリンピック委員会委員長田畑政治氏より和田理事長に通知が届いた(77年4月12日付羅府新報)。

4月の月例理事会で、中間看護施設のオープンハウスを5月15日(日)午後2時―4時に開催することが決まった。4月21日現在の中間看護施設改造募金総額は現金286,905㌦47㌣、誓約30,621㌦24㌣、合計317,526㌦71㌣。改造費総額は約45万ドルで、約14万ドルの不足(77年5月3日付加州毎日)。

米国日産モータース会社を創立、育ての親で昨年退職して帰国した片山豊に、4月24日、日本政府から藍綬褒章が授与された。これを記念して、日米文化会館と日系引退者ホームにそれぞれ千ドルづつ寄贈した旨が明らかにされた(77年㋄20日付羅府新報)。

改装完了を祝った5月15日(日)の中間看護施設のオープンハウスに500人近い訪問者があった。加州に3か所しかないといわれるこの施設は、引退者ホームとナーシングホームの中間施設である。地上5階地下2階の建物の、2階から5階の約50部屋に、定員96人入院できる。各階に看護婦のオフィス、ダイエット食事をつくる部屋、娯楽室などの設備を整えている。1階の部屋はまだ受け入れ準備ができていない。52人が入院予定。今月末から受け入れる。庭園内では、引退者ホーム居住者によって作られた手芸品が売ら れ、500ドル以上の収入があった。ロータリークラブの会合に出席するために渡米していた竹田恒徳日本体育協会顧問も訪ねてきてお祝いを述べた。

昨日の理事会で、和田理事長は日本で思わぬ募金がされたり、日系人の協力、理事、ボランティアその他の献身的援助協力で募金活動が順調に進んでいると語った(77年5月16日付羅府新報)。

日系引退者ホームに5月23日、ビデオ・カセットテープレコーダーと50インチの広角カラーテレビ受像機がカリフォルニア・ファースト・バンクの津山頭取個人から贈られた。同じものが敬老ナーシングホームにも贈られた。南敬老ホームにはガダル―プのバード・プロデュース会社社長スタンレー・バード氏から同じようなものが贈られることになっている(77年6月24日付羅府新報)。

6月1日から入院を受け入れた中間看護施設には、24日現在27人入院。7月末には40人を超える予定。現在5階だけを使用。準備が整い次第4階、3階、2階を使用する予定。中間看護施設改造資金は27日現在、現金307,329㌦12㌣、誓約27,556㌦62㌣、総計334,885㌦74㌣に達した。

引退者ホームへ、支持団体愛友会より25,000㌦が収められた。6月5日のお楽しみ券純益。和歌山市の坂井七郎氏(西羅府ソーテル街のサツマ商会主坂井トーマス氏の令弟)から、ひな祭り用の御殿人形セットと5月の節句用の大のぼりが引退者ホームに贈られた(77年6月29日付羅府新報)。

9月7日、都市対抗野球優勝チーム、日本鋼管監督清水一男氏が優勝チームを率いてカナダ各地を転戦、12戦して11勝1敗の好成績を上げた帰途、当地に立ち寄り和田理事長を表敬、10万円(375㌦)を寄付した。日系引退者ホーム、中間看護施設、南敬老ホーム、敬老ナーシングホーム及びシティー・ビュー病院の5つの敬老慈善事業は、施設設備、サービスが高く評価され、日本からの訪問者、施設見学が相次いでいる。去る10日には、加藤六月衆議院議員を団長とする一行6名が引退者ホーム中間看護施設を視察激励、基金の一部にと100㌦寄付(77月9月15日付羅府新報)。

日系引退者ホームは、基金募集のため10月1日(土)ホーム内ガーデンでカーニバル・バザーを開催。毎年10月に開催されるこのバザーは、デイムスと愛友会が隔年に担当。今年はディムスが主催、愛友会が協賛。当日は施設内ツアーも予定されている。(77年9月15日付羅府新報)

日系美術家協会は、10月1日の引退者ホームのバザーで日系美術展即売会を開催。売り上げの20%を引退者ホームに寄付する。(羅府新報)

10月15日(土)第19回米国仏教団婦人会連盟大会がロサンジェルスのボナベンチャーホテルで、京都西本願寺より大谷嬉子総裁を迎えて開催。井上メリエ夫人からダーナ献金を日系引退者ホーム、敬老ホーム、南敬老ホームに贈った(77年10月17日付羅府新報)。

11月15日に引退者ホーム愛友会の新役員が決定、就任晩餐会が開かれる。ラッフルチケットの純益から引退者ホームへの寄付額は4万ドルを超えている。新役員は、△会長 力丸コニイ △第一副会長(企画)吉村アート △第二副会長(会計係)樽本メイコ △第三副会長(行事)田中ウォルター △記録書記 シェパード・バナ △通信書記 石井ヱミ △会計 小尾ミチ △議事進行 漆畑ユウク △広報(日)妙中俊彦 △広報(英)国次カッツ△会計監査 田中ユリ △編集 ザー・バニー △接待 神谷メリー △相談役 湯森ベティ、中崎ビル、寺下ジュリー、山田グレース、渡辺ルース

12月11日に引退者ホームのクリスマスパーティーを開催。居住者だけでなく、家族も招待。次の会合は1月17日(火)、78年度の行事打ち合わせをする(77年11月19日付羅府新報)。

日本の大手メーカーである三洋電機の現地法人米国サンヨーから日系引退者ホームに19インチ・カラーテレビジョンとステレオセットがクリスマス・プレゼントとして贈られた。このプレゼントは中間看護施設の娯楽室に設置。12月15日現在の入居者は、引退者ホーム78名、中間看護施設61名。日系引退者ホームには先に米国日立から19インチ、カラーテレビ3台が寄贈され、中間看護施設の娯楽室で使用されている(77年12月17日付羅府新報)。

78年1月5日付羅府新報に、シティービュー病院、敬老ナーシングホーム、南敬老ナーシングホーム、日系引退者ホーム、中間看護施設の連名で、日系社会及び商社グループに対して、多種多様の食料品、、核施設への資金援助、日用品の寄贈ならびに各種奉仕、施設内レクリエーション活動のための材料提供など、物心両面の支援と協力に対する、お礼広告掲載。

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