2014/「クール・ジャパン」より大切なもの (施 光恒 九州大学准教授=比較社会文化研究)

>From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

おっはようございま~す(^_^)/

先日(7月8日)、文化放送「おはよう寺ちゃん活動中」に出演させていただいたときにも触れたのですが、この記事、興味深いですね。

のび太は「ノビー」ドラえもん、米TVに登場へ(『読売新聞』7月7日付)

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140707-OYT1T50101.html

今月7日から「ドラえもん」がアメリカで放映されるようになりました。その際、日本政府が翻訳や広報宣伝を支援し、アメリカの習慣や文化に合わせて登場人物の名前や設定を変えたそうです。

例えば、のび太は「ノビ─」、ジャイアンは「ビック・ジー」という具合に登場人物の名前はアメリカ式になりました。箸が描かれる部分はフォークになります。また、「米国の放送基準では子供向け番組にも「健康的な食生活の推進」が求められているため、ドラえもんが多くのどら焼きをほおばるシーンは短縮した」とあります。

きっと、「児童ポルノ」うるさいアメリカですから、しずちゃんの入浴シーンもカットでしょう。

最初に、「ドラえもんがアメリカ全土でテレビで放映される」というニュースを聴いたときは、「お、ドラえもん、ついにアメリカに受け入れられるかな」と思いました。

o((=゚ェ゚=))o

というのは、ドラえもんは、すでにアジアやアフリカなど非欧米諸国では広く受け入れられ高い人気を誇っていますが、アメリカやヨーロッパではあまり広まらず人気もでないといわれていたからです。

なぜドラえもんがアメリカなど欧米でこれまで受けなかったかといえば、欧米で一般的な「成長」や「成熟」の見方と合致しないからだと推測されています。のび太が困ったときすぐドラえもんに頼ってしまうため、「ドラえもん」の話は他者依存的でよくないとアメリカの大人は感じるらしいのです。個人主義的なアメリカの理想からすれば、「人間はもっと強く、独立してなければならない」と思うのでしょう。

考えてみれば、スヌーピーの出てくるアメリカの国民的マンガ「ピーナッツ」の主人公チャーリー・ブラウンは、のび太同様、冴えない子という設定ですが、日本人からみると不思議なぐらい誰にも頼らないのです。「誰も僕のことを好きになってくれない…」(Nobody likes me.)と口癖のようにつぶやきつつ、一人たたずむという風情の子です。

(チャーリー・ブラウンなど「ピーナッツ」の登場人物はこちらで⇒「ピーナッツの仲間たち」(「スヌーピーと仲間たちのオフィシャルサイト」)

http://www.snoopy.co.jp/archives/who/

チャーリー・ブラウンは、愛犬のスヌーピーともドライな関係です。

スヌーピーのほうも一般的日本人の感覚では可愛らしい性格とは言い難く、チャーリー・ブラウンたち周囲の人間をかなり覚めた目でみつめています。

(●)´`・)

「ピーナッツ」が親しまれ、国民的マンガの地位を得ているアメリカ的観点からすれば、のび太は依存的過ぎ、「ドラえもん」は「教育上よくない」とみえてしまうのです。アメリカでは、チャーリー・ブラウンのように、「自立した」人間が好まれるのでしょう。

ちなみに、チャーリー・ブラウンは悩みが深くなると、友達のルーシーの精神分析ごっこの患者となり、そこで相談します。いかにもアメリカ的です。

日本では、「ドラえもん」で描かれるのび太とドラえもんの関係が依存的で教育上よろしくないと考えられることはほとんどありません。

のび太は、勉強も運動もできませんが、優しい思いやりのある子です。「ドラえもん」の話のなかで、ドラえもんやジャイアン、スネ夫、しずちゃんといった他の登場人物と関わりながら、ますます思いやりの心や共感能力を磨いていきます。

日本では、「独立した子」よりも、「思いやりのある子」「やさしい共感能力のある子」のほうが好まれますし、「思いやり」や「共感能力」を伸ばしてほしいというのが多くの親や教師の願いです。人と人との支え合いの大切さも強調されます。

日本の見方では、思いやりや共感能力を発達させ、他者の気持ちを敏感に読みとり、他者と支え合うことができる人こそ、「成熟した大人」だと理解されます。のび太は、勉強や運動はできなくても、そういう意味での大人へは一歩一歩近づいていきますので、「ドラえもん」が教育上悪いなどとは普通、思われないのでしょう。

そういうわけで、のび太も「ドラえもん」も日本では多くの人に受け入れられ、愛されてきました。

日本と欧米(特にアメリカ)との文化の違いですよね。

ところで、私が上記の読売新聞の記事で気になったのは、「ドラえもん」の今回のアメリカ進出が日本政府のバックアップをかなり受けているという点です。放送番組の海外輸出を助成する基金から翻訳費や広報宣伝費が助成されているとのことです。いわゆる「クール・ジャパン」戦略の一環です。

「クール・ジャパン」戦略は、安倍内閣の成長戦略の目玉の一つとされ、昨年から官民共同で基金が設立されています。2015年3月までには、900億円に投資規模が拡大されるという大事業です。

私は、どうも官主導で日本の大衆文化(サブ・カルチャー)を外国に売り込もうというこの「クール・ジャパン」戦略、好きになれません。

もちろん、日本のドラマやアニメ、マンガ、歌謡曲などを外国の人が自然に好んで興味をもってくれることは大変うれしいことですし、そういう外国人が増えればいいなと私も思います。ですが、日本政府がそれを積極的に後押しして、外国の文化市場を奪いに行くというのは、やっぱなんか違うという感じがします。

ドラマや歌謡曲、子供向けの番組のようなものは、本来、各国それぞれで作り、楽しむものでしょう。それぞれ自国の生活や文化を反映し、自分たちの胸を打つようなものを作っていくべきものだと思います。

日本のような外国の政府が、そういう他国の文化市場を積極的に奪いに行こうというのは、なんか品がありません。

少し前の「韓流」の押し付けに私も含め多くの日本人が辟易したように、日本の「クール・ジャパン」も結局は、現地の人の反感を買う結果になってしまわないかと心配になります。

日本政府は、韓国の真似をして大衆文化を官主導で外国に売り込むようなことをせず、むしろ日本国内に「優れた大衆文化を生み出す基盤」を手厚く作るように努めるべきではないでしょうか。

「優れた大衆文化を生み出す基盤」というのは、身近な趣味や娯楽に熱中し、お金を使う豊かさとゆとりを備えた中産階級が分厚く存在することだと思います。ある国に、そういう中流層が多数存在していれば、自然とその国独自の大衆文化が栄えるはずです。

その大衆文化が外国から見ても魅力的なものであれば、政府が旗など振らなくても、外国人のほうから自分たちにもその文化を楽しませてくれと言ってきて、買ってくれるでしょう。

つまり、日本の政府は、「日本の大衆文化を外国に売り込むぞ!外需を奪うぞ!」というような帝国主義的でカッコ悪いふるまいをするのではなく、「趣味に熱中でき、お金も使える豊かで安定した中流層を日本国内に分厚く作るぞ!」と頑張るべきではないかと思います。それが結局、魅力的な大衆文化を栄えさせることにつながるのです。

別の言い方をすれば、外国から見た場合のある国の大衆文化の魅力の源泉とは、その国の普通の人々の生活に対する憧れです。

ひと昔前の日本でアメリカの大衆文化の人気が高かったのは、日本人の間に一般的なアメリカ人の暮らしへの憧れがあったからでしょう。青々とした芝生に囲まれた家、温かくゆとりある家庭、自由で活気ある学園生活。アメリカにそんなイメージを抱く人々が多かったからこそ、アメリカの映画や音楽、ドラマは人気があったのです。

よく指摘されることですが、今の日本の若者は以前ほどアメリカの映画を観たり、音楽を聴いたりしません。

例えば、映画の興行収入は、2006年ごろから邦画が洋画を上回るようになり、最近はその傾向が定着しています。

音楽でも、以前と比べ、洋楽の人気は落ちてきているようです。私が学生だった20年ぐらい前までは、ちょっとおしゃれな学生は洋楽を好むという傾向があったように思いますが、最近の学生にとって洋楽はマイナーな趣味となっているようです。

実際、統計を観ても、オーディオ・レコード(CDやレコード)の売上金額は、1985年では、洋盤と邦盤の比率は38対62でしたが、2013年では15対85となり、邦盤が洋盤を圧倒するようになっています(日本レコード協会のHPの統計より)。

現在の米国は、格差社会化が進み、一握りの富裕層が以前にも増して豊かになる一方、かつての中産階級の暮らし向きは大幅に悪化しています。それに伴って、日本の若者の持つアメリカのイメージも、以前のように明るいものではなくなりました。そのため、アメリカの大衆文化の人気も落ちたのです。

日本で「韓流ブーム」が一時的なもので終わったのは、日本人にとって韓国の普通の人々の暮らしが憧れではなかったからだと思います。結局、韓国政府の資金による一種の「ドーピング」の結果に過ぎませんでした。

一方、現在、日本の大衆文化がアジアをはじめとする諸国で比較的高い人気を得ているのは、日本の一般的な人々の生活に対する憧れが根底にあるからに他なりません。アニメやマンガ、ファッションなどから垣間見える普通の日本人の暮らしが豊かで楽しそうに見える。これが日本の大衆文化の現在の人気の源泉だと思います。

しかし近年、日本社会の格差社会化も進みつつあります。中流層の「下流化」が始まりつつあります。

「クレヨンしんちゃん」のお父さん・野原ひろしは、連載が始まった当初の1990年の設定では、平凡で、どちらかと言えば冴えないお父さんでした。埼玉・春日部に一軒家をローンで購入、年収650万、妻子持ちという設定です。

しかし最近、ネットでよく話題になるように、中流層の下流化が進んだ現在からみれば、クレヨンしんちゃんのパパは、「勝ち組」です。現在の35歳男性で、野原ひろし以上の境遇の人は、かなり恵まれた層だと言えます。

日本の格差社会化が進んでいけば、趣味に熱中できお金を使える層も少なくなっていきます。結果的に、日本の大衆文化は、廃れていくでしょう。海外から見ても、日本の普通の人々の生活は憧れではなくなります。そうなってしまえば、海外に日本の大衆文化を輸出することは単なる押し売りになります。韓国のことをとても笑えなくなります。

日本の大衆文化を本当に世界の人々に親しんでもらいたいと思うのなら、政府は、「クール・ジャパン」戦略などではなく、日本の普通の人々の生活の豊かさと安定を取り戻す政策に地道に力を注ぐべきです。それが結果的に、日本の大衆文化を栄えさせ、外国の人からみても魅力的なものにするのだと思います。

長々と失礼しますた

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◎三橋貴明の「新」日本経済新聞 から

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