2019/LAエッセー:半田俊夫・天草訪問記

天草を訪れた。熊本県の西端の島。先月、佐賀の維新150周年行事にL.A.の仲間と参加した折に、佐賀滞在を終えてから天草まで足を伸ばした。熊本市までは新幹線があるがそこからは鉄道がなく快速バスに2時間以上揺られる。天草は熊本本土に橋で繋がる大きな島。バス旅の後半はきれいな海を見ながら走り、海と島の景観が美しい。

一路天草へ

一路天草へ

東京の知り合いがここで高浜焼き磁器の窯元を経営していてご招待を受け喜んで訪問した。我が家はここの白く薄い磁器が好きで以前から色々手に入れて家で愛用している。窯元は高浜焼きの磁器を製造販売するだけでなく、ここで採れる陶石を佐賀の有田焼の窯元にも提供している。これは佐賀でも聞いていた。

窯元の博物館を見学すると江戸以来の歴史資料の展示が見れる。高浜焼きの歴史は約300年で江戸中期に平賀源内が島に来て高浜の磁器を天下無双の上品と賞賛し、輸出用に使う事を幕府に建議している。

また江戸末期、伊能忠敬がこんな島まで従者たちと共に来て50数日も測量に歩いていた事が分った。窯元の先祖がそれを支援している。忠敬が歩いた全国測量での大日本全図の完成は55歳過ぎになって当時としては高齢になってから17年もかけての偉業であり驚く。

遥か昔1500年代半ばにはフランシスコ・ザビエルも伝導に来ている。天草の﨑津という湾に面する地域が今年世界文化遺産に登録された。この文化遺産は﨑津にある天主堂ではなく、天草の乱以後、江戸時代を通じての厳しい禁教の下に宣教師不在の環境で、仏教や神道を装ってキリスト教を二百数十年に亘り密かに信仰を続け、幕末にやってきた宣教師に駆け寄り告白して存在が分った「潜伏」キリシタンたちの歴史と文化の漁村集落が対象になっている。

天草は山がちで農業が難しく漁業一本の島。僕らは滞在の晩、朝、昼とも大皿に盛られた採りたて新鮮な刺身や魚介類をたらふく賞味させて頂いた。

天草の雄大な夕焼け

天草の雄大な夕焼け

海の景観は島のどの角度や高さからも美しい。西の海の先の大洋は何も無く水平線に広がり、その大海原は遥かに中国に繋がるだけ。夕焼けが雄大で荘厳だった。日本の国土はどこも美しい。

半田俊夫:
東京出身。在米約40年の後現在は東京在住。元航空業界商社経営。以下の諸ボランティア活動を行う:羅府新報の随筆「磁針」欄に毎月執筆、日刊サン・ポエムタウン欄の川柳選者。在米中はパサデナ・セミナー会主宰、命の電話友の会、茶道裏千家淡交会OC協会などで会長としてボランティア活動。他に南加日系商工会議所、日米文化会館、小東京評議会、南加県人会協議会、米国書道研究所などの理事役でもボランティア活動をした。日系パイオニア・センター、L.A.東京会、および小東京ロータリー財団の会長を歴任。南加日商の元会頭。

(本稿はロサンゼルスの日本語新聞・羅府新報の「磁針」欄に2018年12月に掲載された文に加筆したものです。)